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福知山城から歴史を探索
京都府福知山市にある福知山城の魅力 🏯✨
今からおよそ440年前の天正7年(1579年)に丹波国を平定した、明智光秀が築いたお城だそう。
明智光秀…(1528年-1582年)戦国時代後期の武将、織田信長の重臣(身分の高い重だった家来)として知られている。氾濫の多かった川の治水工事や地子銭と呼ばれた税金を免除したりするなど、善政を行っている。さらに、連歌・詩歌・茶の湯など造詣(学問や芸術についての知識)が広く理解が深くすぐれていたと言われている。
北近畿唯一、天守閣があるお城だそうです。‼️
天守閣…もともと敵の動きを見る櫓(やぐら)として始まったものが時代とともに権威の象徴として発展。城の中央に位置するシンボル的な存在。
そして、
福知山城は個性豊かな石垣が有名です。
沢山の転用石が使用されている石垣が見どころ。👀✨
転用石…当初は別の目的で使用されていた石が石垣に転用されたもので戦国時代・江戸時代の日本の城において築城の際に利用されていた築法。🏯
転用石は寺社などで使われていた石仏や墓石を「転用石」として明智光秀が築いたもので、
その数500個以上の転用石の石垣を間近で見られるのは福知山城のみ。☝️
(外から見えるのは約300個だそうです。ちなみに奈良県の郡山城の転用石は約700個)
築城時に明智光秀が近隣から石塔を集めたという伝承があるそうです。
❔なぜこれだけの転用石が使用されているのか
🔍🐈⬛
と、疑問が湧きますね〜🤔
諸説あるようですが、
これは石垣に利用する大量の石材が近辺になかったことと、
築城に時間的余裕がなかったためと言われています。🕰️🏃💦
また転用石の利用は短期の築城と石材不足、
旧地勢力や権威への否定、という説もあるそうです。💪
そして、
転用石の模様や戒名が彫られた部分が下側または外側になっているのは、
雨水が溜まらないようにする工夫が施されているようです。☔️
福知山城のもう一つの見どころ 👀✨
福知山城のもう一つの見どころは、
天守台の継ぎ足しを示す斜めの線です。
天守台の石垣をよ〜く見ると斜めの線がはっきりわかります。
👇天守台画面中央より左側。
斜めの線が入っています。❗️
向かって右側が明智光秀時代に積まれたと考えられている天守台だそうです。
お城の名前の由来…
福知山城はもとは小笠原長清の末裔とされる
塩見頼勝が室町時代後期に横山城として築いたそう。
室町時代…足利氏の幕府が続いた約240年間(年表順では平安時代ー鎌倉時代ー南北朝時代ー室町時代ー安土桃山時代ー江戸時代…)
そして、明智光秀が「福智山城」に改名。💡
地名の福智山を名付けたのは明智光秀で、
和泉式部の歌集に登場する「吹風(ふくち)山」「福智」という文字を当てたといわれている。
「智」は「明智」の「智」だとか。🌳
1582年(天正10年)安土桃山時代の本能寺の変、
羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)との戦い(山崎の戦い)で敗北。
豊臣秀吉の城となる。その後「福知山」に改名。
明治の初めに取り壊され石垣と銅門番所だけが残っていたそう。🤲
そして、今から約40年ほど前の昭和61年、
福知山市民の熱意によって天守閣が復元されたそうです。✨
何気なく行った福知山城でしたが、色々調べてみると
当時の築城の際の石垣が積まれた様子など
ストーリーの想像が膨らみますね。😺